判断しないということ|ハワイ|TH Associates
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         判断しないということ

ダライ・ラマの言葉は、引用されることが多いが、先日、Facebookで流れていた言葉の内で、次の言葉は、 同感だなぁと特に思った。

Our prime purpose in this life is to help others.(人生の主な目的は、他の人々を 助けることにある。)

Love is absence of judgement.(愛とは、判断しないことである。)

 

人が(言わば)スピリットの状態から人として生まれてくるのは、何かのお役にたつことであると日頃から思っていた。人には、強みも弱みもあり、性格的な長所・短所もある。それぞれの強み、長所を生かし、言ってみれば心から好きなことをして、何かのお役にたつことが生きている意味だと思っていた。それは、経済的な 損得とは無関係のことで、自分の得意なことをして、周りの人、家族、組織、社会の役にたっていれば、  結果的に経済的には与えられるものであると思っている。何かのお役に立つとは、ダライラマの言う    「他の人々を助ける」ということと意味は同じだと思う。職業を選択する時に、その業界、会社の将来性、 報酬・待遇の良し悪しを判断基準にすることが多いと思うが、もっと大事なのは、自分がその仕事をしたいかどうか、好きか嫌いかである。つまり、自分の強み、特技、長所を生かしてお役に立てるかどうかである。 心に聞いて、シンプルに選ぶのが良いと思う。そして一旦選んだならば、最善を尽くして努力すべきと思う。そうすれば、結果は自ずと良いものになると思う。目的と結果は、混同しないようにするのが良いと思う。 経済的な対価は結果であって、目的とすべきではないと思う。時々、目的と結果を混同している人を見かけるが、大きな違いがあることを良く認識する必要がある。

 

「愛は、判断しないことである。」という言葉も全く同感である。愛は、対価を求めず与えることで、相手に何等かの見返りや行為を期待して行うものではない。相手をあるがままに素直に受け入れることが前提である。判断しないというのは、この前提のことを言っているものと思う。愛は、寛容、忍耐、謙遜、柔和とも 言われる。相手に対しては、寛容に、自分とは異なるものであることを認めて忍耐強く、また、自分よりも はるかに大きな力が人には働いていることを認識して謙虚に生き、いつも喜び柔和に生きていければ、人生はうまく回っていくものと思う。相手に期待し、期待通りにならないことから落胆したり、怒ったりするのは、この愛の解釈からすると、愛のない行為ということになる。希望はしても、期待はしないことに、私は決めているので、感謝する機会が自然と多くなる。精神衛生的にも、ストレスがなく良いと思っている。